日露戦争(1904~05年)の際、兵庫県姫路市内に収容されたロシア人捕虜が栽培していたとされる野菜「ビーツ」を新たな姫路名物にしようとの取り組みを、姫路タウンマネージメント協会が始めた。
第1弾として、15日、姫路市市民会館(総社本町)でビーツを使ったロシア料理教室を開催。同協会の田中達郎理事長(88)は「姫路とビーツの意外な関わりに関心をもってもらえれば」としている。
ビーツはサトウダイコンの仲間。赤カブによく似た赤紫色の根菜で、ボルシチなど、東欧やロシア料理によく使われる。最近は日本でも、健康にも良いと注目されている。
ロシア、ビーツと姫路の関わりは、同市豊富町出身で料理学校を経営していた三木治子さん(1920~87年)が祖母から聞いた話として、著書「捕虜たちの赤かぶら」(1985年出版)にまとめている。
同書によると、日露戦争中にロシア人捕虜が、同市内の亀山本徳寺(亀山)や播磨国総社(総社本町)などにあった収容施設で暮らし、市川の河原では畑を作ってビーツも栽培するようになった。地元の人たちは「ロシヤのかぶら」と呼び、捕虜たちが戦後、祖国に戻った後も、ビーツはしばらく花を咲かせていたという。
同協会は、この逸話に着目。近年の健康ブームもあり、約110年前にロシア人から姫路にもたらされたビーツを「地域野菜」として、町おこしに活用しようと考えた。
この日の教室は、神戸市在住のロシア料理研究家、扇エリザヴェータさんが講師を務めた。扇さんは「日本ではあまり見かけず、非常に高価ですが、ロシアではごく一般的で、家庭料理によく使う食材です」と話し、ビーツをふんだんに使ったボルシチ、カツレツ、サラダ、パテの作り方を説明した。
参加した県内外の主婦ら約30人は、姫路とロシアやビーツの関わりについて、「そんなに古くから、ゆかりがあったなんて知らなかった」と驚いていた。姫路市東夢前台の主婦(73)は「カツレツは風味が良く、パテはパンととても合う。これなら、自宅でも簡単に作れそう」と話していた。
同協会は今後、料理教室のほか、ビーツを使った新レシピの開発、耕作放棄地を活用した栽培も検討しているという。
(新田修)
2017年01月16日 14時51分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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